3-185 片月―かたわれのつき―

3-185 :片月―かたわれのつき―:2013/06/17(月) 00:24:39.52 ID:ABrxBS3j

織田家を放逐され浪人の身となってから、はや二年が経とうとしている。
かつての同僚たちの出世や躍進が聞こえ、弥が上にも焦りは募る。

又左が、主信長寵愛の茶坊主十阿弥を、主の目の前で斬殺したのが二年前。
信長の逆鱗に触れその場で勘当され、以来何処にも仕官せず、ただ織田家への再仕だけを考えてきた。

「なんとしても、手柄を挙げねば」

『桶狭間の戦』から一年。
この、美濃森部の合戦でも、又左は単独で織田家の加勢として奮闘していた。

敵方の侍大将を死闘の末討ち取り、負傷し血みどろになりながらも、戦績を鼓舞するように信長の元へ目通りを願った。
帰参の赦しを請うために、今まで侍大将の首をいくつも挙げてきたのだ。

それでも信長は、この戦においても又左を無視し、一顧だにしなかった。

「これでもまだダメか!」

かっとなった又左はその場に首を投げ捨て、再びその勢いで敵陣へ突入していった。

――これでダメなら、討ち死にするまでだ!

もはや、信長へ当てつけてやる、という一念のみが頭を支配していた。



先ほどの闘いでの傷は存外深く、多くの血が失われていたようだ。
勢い勇んで戦線にもどったものの、四肢の先が急速に冷え、目がかすんできた。
大身長柄の槍の重さが腕にこたえ、相手に突き込む手元がぶれる。
次々に迫る目の前の敵に、振っても突いてもきりが無く思え、体の動きが鈍ってゆく。
冷えた汗にまみれた体が、たまらなく不快だ。

徒歩の一撃をなんとかかわしたとたん体勢を崩し、とうとう馬上から滑り落ちた。
尻もちをつきかけたところに、すぐさま刃が落ちてくる。
咄嗟に槍で体を支え、片手で太刀を抜きざま、それを弾きあげる。
相手は、二間ほど吹っ飛び、敵味方入り乱れた群れの下敷きになっていった。

――今の己と、大差ないではないか。

次々と向かってくる太刀を払いながら、又左はなんとか体勢を整え片膝をついた。
己の体が、とてつもなく重かった。
このままでは、侍大将の首を挙げるどころか、その前に力尽きてしまいそうだ。

帰参どころか、生きてまつの許に戻ることさえあやうい。

――殿が認めぬのなら、死んでやるまでだ。

つい先ほどまでそう思っていた。
唐突に、笑いが込み上げてくる。

――このままでは、まさしく“犬死に”だな。

又左は、口の端をつりあげ笑った。
混沌とした戦場で、踏みつけられ泥濘に埋もれゆく骸と、己が重なる。

――おれが死んだら、幸は……まつはどうなる。

かすむ視界に、数日前に抱いた、妻の姿が浮かび上がった。

3-186 :片月―かたわれのつき―:2013/06/17(月) 00:25:31.59 ID:ABrxBS3j



*****



「またざさまっ、いけませ……幸がおりまする!」

抗しきれず、前を向かされて軽々と膝の上に抱えあげられた。
六尺(約180cm)豊かな夫と、四尺五寸(約135cm)少しの妻では、体躯が違いすぎた。

次の戦に臨む前に、又左はまつと幸の顔を見にやって来たようだった。

短気があだとなり、主信長に勘当され織田家を放逐された又左は、浪人者として暮らしてきた。
信長の勘気を解き、織田家への再仕を叶えなければ、己のゆく道はない。
その一念で、他家からの誘いにも応じず、常に単騎で織田勢に加わり共に戦ってきた。
しかし、戦の度何がしかの戦功を挙げるも、なかなか信長の赦しはもらえない。

いつまでこんな暮らしを続けるのか――。

二年になる浪人暮らしで、心身ともに逞しくなったとはいえ、焦りの色は隠せない。
又左を密かに援助してくれている、織田家重臣の柴田権六や森三左衛門にも、いつまでも頼るわけにはいかない。

実家である前田家も、桶狭間の戦の後父利春が没し、長兄利久が城主になっていた。
兄嫁は子連れの再婚で、器量は良いが、派手好きで性根がきつい女だ。
子の無い利久は、連れ子の慶次郎を養子とし、跡を継がせるつもりでいる。
まつは態度にこそ出さないが、荒子での暮らしが、さらに肩身の狭いものになっていることは間違いない。
今となっては、兄たちの厄介者、ただの居候に過ぎないからだ。
妻子を己が実家に預けて浪人者として暮らしてゆくのも、もはや限界であった。



「長八郎、はずせ」

又左はそう言い、供をしてきた家来の村井長八郎を部屋から遠ざけた。
荒子城のまつの居室を訪れた又左は、話もそこそこに、まつに手を伸ばした。
陽は高々と中天を目指して進み、居館の表から働く女たちの和気あいあいとした声が聞こえてくる。

「せめて幸が昼寝をしてからに、あっ」

座らされた内股に押しつけられた又左の熱い昂りを感じ、まつは頬を染めた。
眼の前のすぐ傍に、幸がいる。
二歳になった娘の幸は、父が土産に持ってきた鞠に目を輝かせ、独り遊びに興じている。

「身ぐるみ剥ぐことはせぬから、案ずるな」
「まっ! おまえさまという人は。お戯れは後になされませ、ね?」

城の午前の仕事がひと段落ついたところでの、又左の来訪だった。
端折った着物の裾からのぞく白い脚と、たくし上げた袖からのぞく細い腕は、又左の男を煽ったらしい。

3-187 :片月―かたわれのつき―:2013/06/17(月) 00:26:59.68 ID:ABrxBS3j

又左は、側から見えぬようまつの裾を引き下ろし、小さな体を背中から抱きすくめた。
つ…とうなじから肩へ唇を滑らせて、襟の内へ顔をもぐらせるように埋め、久しぶりに妻の甘たるい体臭を嗅ぐ。

「んっ……おまえさまっ、幸が」
「抱き心地がよくなったな。良いことだ」
「幸がいるの……やめて……っん、あぁっ」

まつの言葉も意に介さず、確かめるように衣の上から体を弄り始めた。
又左がまつの着物の裾を直したのは、せめてもの気遣いなのだろうが、だとしても幸の手前承服しかねた。
しかし、熱い塊はちょうどまつの女陰にあてがわれ、容赦なく秘裂に押しつけられている。
身を捩れば、硬さを増した男根が秘裂に沿って前後に滑った。

くちっ……。
粘ついた音がすると、まつは体を震わせた。
体は、火にあたったように火照っている。
又左がさらに長躯を屈めてまつの体の前へ腕をまわし、裾の中へ手をもぐらせた。

「あっ」

押しつけられ擦りつけられる熱の塊とは別に、太い指がまつの秘裂の端に触れる。
思いがけず繊細に蠢き、花弁を指二本で押し開く。
そのまま止まることなく、別の指が円を描くように蠢き、花芯を探りだす。

「ぁんっ」

びくりと跳ねた体は、さらに強く抱きすくめられた。
裾の内へ忍んだのとは別の腕が、まつの肩に絡めるようにまわされ、小柄な体は又左の体に押し包まれてしまっていた。

「芽がでてきたな……」

そうささやき、又左は陰核の尖端を、触れるか触れぬかという加減で幾度も撫でる。

「くっ、ん、ん……」

指のわずかな動きにもまつは顔をゆがめたが、声は漏らすまいと歯を食いしばった。
もぞもぞと動く腕を掴んだ手の力は、又左が痛みを感じるほどに強くなっている。

そんな乱れまいとするまつの表情とは裏腹に、女の部分はすでに蕩けきっていた。
淫蜜がたっぷりとあふれ出し、尻から秘裂にかけてあてがわれた男根もろとも、又左の膝へ伝い落ちている。
声は我慢できても、少しでも互いの体が揺れれば、容赦なく水音がたった。
又左が、指で当然のように蜜を絡めて、陰核へ塗り込む。
そして、腰をわずかに揺らして、まつをさらに昂ぶらせようとしはじめた。

「あーたん」

突然発せられた我が子の声に、ふたりは動きを止めた。

3-188 :片月―かたわれのつき―:2013/06/17(月) 00:28:21.97 ID:ABrxBS3j


父母の異変に気付いたのかどうか。
幸がふたりのすぐ傍へ寄ってきた。
鞠を掲げ、嬉しそうに見せにきたのだ。

「あーたま」と、母のまつに鞠を差しだした。

「……こう」

はぁはぁと荒い息をやっとのことでおさめて、まつは辛うじて娘の名を口にした。
すぐ又左の腕の力が緩んで、まつは幸へ手を伸ばした。

しかし、又左の膝の上に跨り、秘裂に灼熱の塊が押しつけたられたままである。
下の肌身を互いに密着させたままであり、又左が動けば、まつはあっという間に艶声をあげてしまいそうであった。

差しだされた鞠を受け取り、まつは額に浮いた汗を、すばやく手の甲で押さえた。

「うれしいのね。父さまからいただいたのですものね……」

優しく微笑むと、軽く鞠を投げるような仕草で、幸の小さな掌に鞠を戻す。
鞠を手にした幸が、父である又左を見上げ、満面の笑みを浮かべた。
まつの頭上で、ごほん、とばつの悪そうな咳ばらいが聞こえた。

――今ならば、又左さまの腕から逃れる隙がある。

ふたたび幸が手渡す鞠を受け取りながら、まつは思っていた。

「まつ……」

又左が、幸からは見えぬ逆側のまつの耳にささやいてくる。
耳朶から首筋へ吹きかけられた熱い吐息は、甘い痺れとなり、密着した部分へと奔った。

「あ」と声が漏れたが、すぐに泣き笑いのような笑顔をつくる。
動いたたために、互いの肌がわずかに離れて淫らな水音が聞こえたが、それにかまわずまつは腰を浮かせた。

「幸、ほぅら」

次の刹那、まつは鞠を半開きの戸の間めがけて、外の濡縁のほうへ、ふわりと放った。

「庭に長八郎がいますよ、遊んでもらいなさい」

落ち着いた母の声音で、幸を外へいざなう。
幸は鞠を追いかけ、戸の外側、濡縁へと駆けだした。
驚いて顔をあげた又左は、すぐに幸が驚かぬ程度の声で、外にいる長八郎の名を呼んだ。

長八郎からの返答の声がし、すぐに戸外の幸の楽しげな笑い声が、父母の抱き合う部屋の隅まで響いてきた。

3-189 :片月―かたわれのつき―:2013/06/17(月) 00:30:06.23 ID:ABrxBS3j


「来い……」

少しの間、ほっとした空気が流れたが、すぐ又左の勢いが戻ったようだ。
又左は、膝立ちとなり離れたままになっているまつの腰を、少々乱暴に抱き寄せた。
その顔には、笑みがひろがっている。

「おまえも……ほしいなら、ほしいと言え」

反り上がった勃起が、天を向いている。
一瞬、夫の乱れた裾からのぞくそれを見て、まつは強くまぶたを閉じた。

腰を掴まれ、脇を支えられながら、夫の部分へと引き寄せられていゆく。
まつの秘口に、尖端が押しつけられる。

「あぁ……」

待ちわびた夫のものに圧倒されて、まつは切なげな息を吐きだした。

「あぁ……はぁ……っ」
「遠慮は、せぬぞ」

答える代わりに、まつは自らの重みを又左の腕へと預けた。





「またざ……さ……っ……もう……」

中天を過ぎたとはいえ、まだ陽の高い日中の部屋のうす暗い片隅で、大きな影が蠢く。
悲しげにも聞こえる少女のような喘ぎに、時折甘えたような響きが混じる。
ふたりから発せられる、濃厚な男女の匂いや行為の音は、その周辺の空気を淫猥なものにして、さらにふたりを没頭させていた。
押し殺した嬌声、呻き、吐息が、入り乱れる。
着物を着たまま抱き合うふたりは、部屋の外からはうかがい知れないよう、秘めやかに房事を行っていた。

幸はこの部屋のすぐ外、城の裏手にあたる庭で、長八郎を相手に何やら遊びに興じているようだ。
その様子は時折、半開きになっている戸の間から見ることができた。
部屋の片隅で、まつはその光景から目を逸らした。

夫の膝の上の体は、人形のように跳ねまわって己で止める力は残っていない。
力なくもたれ背中に密着した又左の体の熱を、火傷をしそうだと思いながらも、離れることができなかった。
それに、先ほどから胸を着物の上から鷲掴みにされながら、大きく腰を回しながらの動きにめちゃくちゃにかき回されている。
自分で加減することも赦されず、ただ夫に与えられる激しい快楽の中にいる。

「もう、やめ……て……」

乳房を鷲掴みにしている手に手を重ねてぎゅっと握った。
先ほどまで、片方の頂きは、着物の上からむしゃぶりつかれ口で弄られていた所為で、じっとり濡れている。
散々弄られたそこは、布地を押しあげてぴんと尖り、敏感に震えていた。
熱の塊に穿たれたまま、気が触れそうなほどに中も外も刺激され続け、幾度目かの快楽の極まりへ再び飛ばされそうになっていた。

しかし、それは、まつが絶頂へ向かう途中で突如中断した。

3-190 :片月―かたわれのつき―:2013/06/17(月) 00:31:23.14 ID:ABrxBS3j


「どうして……」

肩で息をする妻の背中に、己の体を密着させるように抱きしめ、又左はくっと笑った。

「やめろと申したぞ」

振り向き夫を見上げた妻は、まるで小鳥が首を傾げたようだ。
まつは、恨めしげに眉をゆがめた。
可愛らしさと欲情したおんなの入り混じった表情になった。
何か言いたげに半開きになった唇からは、弾む息が漏れ出ている。
上気した頬に、幾筋かの髪が汗で張り付き、目尻に涙を湛えた瞳はきらきらと光る。

「や……いやいや……っ」

又左の剛直をまつが締め付けた。
まつは、幼子のように頭を振りながら同時に、まるでねだるように腰を揺り動かす。
又左は今にも放ってしまいそうになるのを堪え、まつの顎に指を掛け、顔をこちらに向けさせた。
花弁のような唇に吸いつき、さらに頭の角度を変えながら、懸命に応えてくる舌を夢中で味わう。
ひとしきり貪ると、猛然と腰を突き上げ始めた。

「ふはっ……! あっ……! ふぁ……っぁん!」

又左の膝の上で、体を押し上げられるたび、部屋の隅の柱に手をついて前のめりになる体を支える。
と、戸のすぐ傍で、幸の弾けるような笑い声がした。
まつの体が強張った。

「こ、幸が……だめ! 又左さまっ……おねが……っ」
「まだだ! まだこれから……っ、宵まで……朝まで――――」

縋りつくようにして、部屋の隅の柱に上体を押しつけながら、まつは急速に増していく昂りに身を任せた。
激しく揺れながらも、うしろへ、探るように伸ばしてきたまつの掌を又左は受け取り、指を絡めて握り締める。

「だ……めぇっ、はあぁっ、ああぁっ」

又左がまつを追うようにして腰を浮かし、体を密着させ、熱を放つまつの頬に頬を狂おしく擦りつける。
やがて、がりり……と柱の木肌に爪をたて、体をぶるぶると震わせて、まつは白い喉を仰け反らせた。




拭ったところに、ぬるみを感じる。
夫の注いだそれは、拭ってもなお、まつの秘所をぬるぬるとぬめらせた。
手早く身づくろいを済ませて立ち上がると、またもそこへ又左の手が伸びてきた。

「いま一度」
「……っ、幸を部屋へ入れる刻限です」

3-191 :片月―かたわれのつき―:2013/06/17(月) 00:33:49.81 ID:ABrxBS3j

日は傾き始めている。
腕を掴まれ、そのまま、夫の胸の中に崩れそうになるのを、まつは踏ん張ってこらえた。

「では、一度ここを去り、宵に紛れて忍んで来よう」
「今日はおしまい。また次においでの時に」
「今宵は褥でおまえと肌身をあわせて……」
「だめ」

すばやく夫の頬を両手でつまみ、むにっと左右に引っ張った。

「又左どの! 聞き分けなされ」
「うぅ……」
「これで最後じゃないでしょう? そんなに焦らなくてもよいのに」

まつは、座る又左を上から母のように睨みつけたあと、むにむにと頬を揉んだ。

「困ったお犬さま。昔からちっとも変わらないんだもの」

ため息をひとつついてから、すばやく、ぽんと突き放すように又左から離れた。
後ろへ体勢を崩した又左は、床に手をつきぽかんとした顔でまつを見ている。

「ぷふっ、ふふふっ」
「まつ! なにをする!」

まつが身を捩るほどに笑いだしたので、怒るのも馬鹿らしくなった又左は、ムッとした表情で黙った。
ばつが悪くなり、怒られた子どものように、鬢をぽり……とひと掻きしてまつを見る。
まつは笑うのをやめ、その場に座り居住まいを正した。

「又左さま。戦で功を焦っては、お命まであやうくなりましょう?」
「ふん。何を申すか。誰が焦ってなど……」

いや。
言われたとおり、たしかに、焦っている。
仲の良かった信長近習の者たちの顔が、眼の前に次々浮かんできた。
ただの人懐こく面白い奴だった藤吉郎が、下士からのし上がり、今では信長が気に入りの家臣としてとりたてられている。
美濃への戦では、必ず帰参が叶う働きをせねば――おれにはあとがない。

まつは近づいて又左の傷痕だらけの手をとり、小さな両の掌で握り締めた。

「必ずまつのところへ帰ってきてもらわねば、困ります」
「むろんだ。案ずるな」
「まつのおうちは、荒子ではなく高畠でもなく、又左さまのいるところです」
「……」
「母と別れてから、やっとできた、わたしのほんとうの居場所なのですもの」
「…………そうだったな」

又左と夫婦になったことで、やっとほんとうの家族とよべるものを、まつは得たと言っているのだった。

3-192 :片月―かたわれのつき―:2013/06/17(月) 00:34:51.58 ID:ABrxBS3j

まつの母は、我が子を姉の婚家である前田家へ預け、高畠家へ再嫁してしまった。
母の事情があったとはいえ、まつはわずか四歳でたったひとり、見知らぬ家に預けられたのだ。
家族同然に育てられたとはいえ、心細かったにちがいない。
明るく笑うその胸の内に、人知れず屈託を抱えて生きてきたのだ。

「失うことになれば、後を追います」
「たわけたことを」
「母のように、べつの男のところになぞ、いきたくありません」
「誰が死ぬか。勝手を申すな」

見つめる瞳は凛として、意志の固さを示している。
まつは幼い頃から、こうと決めたらてこでも動かない、肝の据わったところがあった。
言うからには、どんなことがあろうと、自分の想いの通り信ずる方へとゆく。

「又左さま。必ず……やくそくです」
「うむ。次の戦こそ、だな」
「では、槍の又左どのの御働き、織田の殿さまのために、ご存分に」
「むろんだ!」

まつは近づき、膝頭同士をくっつけて、下から見上げるように又左を見つめた。
又左がいぶかしんで見つめ返すと、とたんに小さな体が伸びあがり、開いた唇に小鳥が啄ばむように唇を触れさせた。
すぐ抱きしめようとした時には、もう、まつは元に戻り、にっこりとほほ笑んでいる。
瞬く間のことだ。

「な!」

たじろぐ又左に、まつはうつむいて言う。

「戦を終えたら……です」

言い終らぬうちにもじもじとし始めた。
頬に朱が差している。

「本当はわたしだって、今宵も……ううん、あのままずっと可愛がって欲しかったのだもの」

最後の方は小さく消え入りそうな声だ。
まつは、なおも続けた。

「ちゃんとお戻りにならないと、まつはイヤです」
「む……」
「次の閨では……まつは、なにもかも又左さまの言うとおりに」

まつはすっかり頬を染めて、おずおずと又左を見上げた。
見つめられた又左の方は、頭に何を思い描いていたのか、頬を染めたまつよりも赤くなっている。

「ちゃ、ちゃんと戻るに決まっておろーが」
「じゃ、やくそく」
「む、わかった」
「ご武運を――又左さま」
「おう」

又左は照れながら、武辺者らしいごつごつした手でまつの手をすっぽりとおさめ、握り返した。
まつは握られたまま、一転して強く射抜くような瞳で見つめ、言った。

「必ず、まつのところへお戻りくださいね」

言い終わったところへ、幸が戸の間から、満面の笑みをのぞかせた。

3-193 :片月―かたわれのつき―:2013/06/17(月) 00:36:49.47 ID:ABrxBS3j




*****



色を失くし揺らぐ視界に、まつの白い体が艶めかしく浮かび上がる。
柔らかな乳房、あたたかな太腿、その内側に潤う甘い匂い。
漲る欲に耐えられぬような小柄な体をしていながら、侵していく先から己の欲望を溶かしてゆく。
閨だけに見せる、妻の姿態は又左だけのものだ。

ゆらゆらと視界が揺れ、今度は幼い頃のまつの姿が浮かんだ。
初めて荒子へ来た時、又左の差しだした手に、おそるおそる小さな手を重ねたまつ。
しっかり握りしめた時の、あたたかく柔らかな感触を、今も忘れてはいない。

遠駆けに行った帰り道、馬の背に揺られて、いつもこの腕の中で、体をほかほかさせ眠りこけたこと。
抱き上げてふくよかな頬に頬ずりすると、眉を寄せて嫌がり、逃げ出したこと。
眠ったふりのこの頬に、そっと頬を寄せてきた、春の宵。
あの狭く粗末な侍長屋で、抱き合って眠ったぬくもりも。

すべて、まるで昨日のことのように、目の前に浮かんでくる。
幼い頃から一緒に暮らしてきたまつのことは、誰よりも、何もかも全て、体の隅々まで知っているのだ。

『朝まで抱いてくださいませ』
まつのささやきが、耳元でよみがえる。

――誰が他の男になぞやるか。

ぐわっと腹の底から、焼けるような思いが突き上がってきた。
脳髄まで血が遡り、頭の先へ突き抜けてゆく。
目に浮かぶまつを抱く男の影を、思い切り太刀で薙いだ。

眼の前の徒歩の首が、胴体と離れて飛び、血飛沫がざっとあたりに散った。
ぼうっとした視界に、色彩が戻ってきた。

又左は足場を確かめるように、地面を踏みしめた。
腰を落とし、構えを崩さずにあたりをぐるりと見回す。
意識せずとも、槍が弧を描き、太刀を振っている。
走り来る敵が、仰け反り、あるいは崩れ、もんどりうって泥の中に落ちてゆく。

死ねば――まつとの約束も無邪気な我が子も、帰参の願いも、欲も嫉妬もなにもかも、むなしく消えてなくなってしまう。

まだぼんやりしている頭の中に、ふっと艶めかしい声がした。

『やくそくです』
まつの声が頭の中に次々と響いてくる。
感極まり、切なげに己が名を呼ぶ声に、又左は反応した。
血潮がどくどくと体中を巡って、体の芯へと集中する。

3-194 :片月―かたわれのつき―:2013/06/17(月) 00:38:47.46 ID:ABrxBS3j

「……呼ぶな!」

声を振り払うように、槍を薙ぐ。
一振りごとに、視界が晴れ、次第に靄が晴れてゆく。

「殿ぉぉ!!!」

長八郎の呼び声が、耳に届いた。
いる。見える。
侍大将らしき男が、視界の先まっすぐに、いる。
再び、又左を呼ぶまつの声が響いた。

――呼ぶな、気を乱すな。

いや。

「……導け!」

又左を助け先導していた長八郎を追い越し、馬に飛びついた。
手綱を引き、腹をあおった。
そのまま、一気に敵陣へ突っ込んでゆく。
血がどうしようもなく滾り、総身が燃えるようだ。

「うおおおおお――――っ」

知らず体の底から湧きあがるものが、咆哮とともに迸った。
視界にいる馬上の男との距離が、急速に縮まる。
己の咆哮に呼応するかのようにあがる鬨の声を背に、又左は侍大将の前の構えを蹴散らし、吠えるように名乗をあげた。





「又左は死ぬ気ですぞ!」――柴田権六らのとりなしで、手負いで戦場に戻った又左に信長がようやく援護の兵を送った頃。
又左は深手を負ってなお、阿修羅のごとき暴れぶりで、織田勢の中でも目を見張る戦功を挙げることとなった。
この戦で、又左は武功を認められ、柴田らの尽力もあってようやく織田信長の家中へ帰参が叶った――。






その後、まつの願ったとおり、ふたりは戦乱の世の中で『家』を築いた。
闘い守ってきたものは、移ろう時代の中で、ゆるぎない、かけがえのないものになってゆく。
ゆるやかに結ばれた絆は、しなやかに強固にふたりを繋ぎとめ、約束したとおりはなれることはなかった。
あの幼い頃の出逢いより、時を経てなお今も。





おわり