4-376 王女様の薬

「支度は出来て?お姉さま」
バルクルト国の長女、アマンダは、その声に振り返った。
見れば、これから始まる晩餐会のために既に美しく着飾った末の妹、マルゴットが一人でこちらに近づいて来るところだった。
いつも彼女に付き従えている、規律と礼節が制服を着て歩いている様な、亜麻色の髪の女騎士の姿は今日は見当たらないようだ。

「ふう……ん」
マルゴットは身支度を整えた姉の姿を上から下まで汲まなく舐めるように眺めた後、「まずますね」と呟いた。

「でも、これ、少し胸が開きすぎじゃないかしら」
アマンダは心細げに、菫色のドレスの大きく開いた胸元を隠すように押さえた。

「まあ。そんなことはないわ。それでも控えめなくらいよ」
そう答えると、マルゴットは優美な笑顔と共に言葉を足した。

「お姉さまは地味すぎるのよ、何事も」
ひらひらと手にした扇を振り、さりげなく人払いをする。
着つけを終えた女官や侍女が全て部屋から出て行くのを確認すると、彼女は姉の手を引いて寝台に座らせ、自分もその横に腰を下ろした。

「で、心の準備のほうは出来まして?お姉さま」
「………マルゴット」
アマンダは妹に弱々しい視線を向けると、早速泣き言を漏らした。

「やっぱり、私には出来ないわ」
「まだそんな事を言っているの?呆れたわねぇ」
マルゴットは目を丸くした。

「今夜が最後のチャンスなのに」
「だって……」
「今日の晩餐会が終わったら、明日には国に帰ってしまうのよ」
「…………」
唇をかみ締めて俯いてしまった姉ににじり寄り、マルゴットはいつもより少し声を低くして念を押した。

「フェルデナンド様を、愛しているのでしょう?」
俯いた顔が、瞬時に耳まで赤くなる。

ここ一年間、この国に滞在をしているフェルデナンド王子は、山間に位置するスランバル公国の跡継ぎである。スランバル公国は小国でありながら、代々に渡りその巧みな外交術で、居並ぶ大国の中で独立し続ける伝統のある国であった。
バルクルト王国とは先祖を同じくした遠い親戚関係であり、古くからその関係は良好で、今も尚、同盟が結ばれ交流の盛な間柄である。
彼は、この国の建築技術と軍隊の育成技術を自国に取り入れるために、職人と軍人を引き連れ、自らも留学生としてアマンダ達の住むこの王宮に滞在をしていた。
そして、その約束の期間が終わり、明日には帰国の途に着く事になっていた。

「今夜、思いを伝えなければ、もうお姉さまには自分を売り込むチャンスは無いのよ」
「売り込むだなんて、そんな……」
アマンダは顔を赤らめたまま、消え入りそうな声で言葉を続けた。

「フェルデナンド様にとっては、ご迷惑な話だわ」
「なぜ」
「だって、私なんて……」
「私なんて、何?」
「地味だし、話も面白くないし、愛嬌もないし……」
「お姉さまの悪い所はそんなのではなくて、極度の恥ずかしがり屋な所よ」
マルゴットは、ため息を付いた。

「他の人の前では、そこそこ堂々と振舞えるのに、どうして彼の前だと駄目なのかしら」

『深窓の美姫』と称されるこの姉は、性格的には全く逆だが、自分と血を分けた姉妹だけあって美しい容姿の持ち主だとマルゴットが思うのは、決してうぬぼれでは無かった。
絹糸の束のように艶やかで豊かな金色の髪に、勿忘草の花のような青い瞳。
部屋に居ることが多く、日に焼ける機会の無い肌は、透けるように白い。
顔立ちもバランスが取れていて、まだ何処となく少女の面影を残すマルゴットとは違い、華やかさの中にも落ち着きがあり、見るものが思わず姿勢を正すような気品のある清涼な美貌である。
もっと自信を持っていいはずなのに、どうしてこうも内気なのか。

「よろしくて?お姉さま」
マルゴットは手にした扇を姉の色白な胸元に突きつけ、さらに詰め寄った。

「憎からず思っているのなら、知らん顔して待っているだけじゃ駄目な事もあるのよ。フェルデナンド様は女性に対しては積極的では無い方だから、尚更だわ。その気があるなら、殿方が行動を起こし易いようにそれとなく促してさし上げるのも淑女の役割なの。世の女は、澄ました顔をしていても、皆それとなくきちんと自分の周囲に餌をまいているものなのよ」
「そ……そうかしら」
「そうよ」
「わ…私は」
五つも年下でありながらそちら方面には手練手管の妹を前に、アマンダは泣きそうな声になった。

「そういう事は、駄目なのよ。どうやっていいのか、全くわからないんですもの」
「仕方ないわねぇ」
マルゴットは失望のため息を付くと、手提げの中から、掌に収まる程度の大きさのガラスの瓶を取り出した。

「これを差し上げるわ」
覗き込むアマンダの背中に手を添え、身を寄せると、マルゴットは声を潜めた。

「トリスタンとイゾルテの秘薬よ」

「秘薬……?」
「ええ、トリスタンとイゾルテのお話はご存知でしょ」
アマンダは頷いた。

「魔法の薬を飲んだ二人は、その瞬間から激しい恋に落ちるの。要するに、これは『一目惚れの薬』よ」
「でも、あの話は悲恋で終わるけど……」
「結果なんて、当人のやり方次第でどうにでもなるものだわ」
穢れ無き人間に罪の味を教えようと企む悪魔のごとく、マルゴットは妖艶に姉の耳元で囁いた。

「お姉さま。貴女はこれを利用して愛を勝ち取るのよ」
「でも……薬の力を頼るなんて、いけない事じゃないかしら」
「もう。いつまでも煮え切らないわねぇ」

マルゴットは立ち上がると、優雅な仕草はそのままで、有無を言わさぬ力強さで姉の腕を掴んで引張り上げると、そのまま歩き出した。

「あの、マルゴット?」
寝室を出て、次の部屋の長いすにどすん、と姉を強引に座らせる。

「ここでお待ちになって。もうすぐ来るから」
「誰が──」
「フェルデナンド様よ」
「ええっ」
悲鳴に近い声をあげ立ち上がりかけた姉を再び椅子に押さえつける。

「先程、晩餐会の時間が来たら、お姉さまを呼びに来てくださるように頼んでおいたのよ。彼が来たら、何なりと理由を付けて二人でこれを飲んで。いいわね」

にこりと優雅に笑うマルゴットの有無を言わさぬ気迫に負けて、アマンダは言葉を失った。
いつもならばこんな時は、彼女のお目付け役の女騎士が毅然とした態度で、『馬鹿なことはお止め下さい、アマンダ様がお困りでいらっしゃいます』などと歯に衣着せぬ物言いで諌めてくれるのに。
彼女は今日はどうしてしまったのだろう。マルゴットを止める事が出来るのは彼女だけなのだ。アリューシア、助けて。

どうしよう。
もうすぐ、彼がここへ来てしまう。
彼がここに来る。彼がここに来る。彼がここに、彼が、彼が彼が彼が彼が彼が……

ああ、もう恥ずかしくて死んでしまいそう。

アマンダが神経を衰弱させているうちに、地獄の門の扉がノックされた。
その音に、彼女は竦み上がった。

「どうぞ。入っていらして」
硬直して口のきけなくなったこの部屋の主の代わりにマルゴットが返事をした。

「御機嫌良う。アマンダ姫。お迎えに上がりました」
柔らかな微笑を浮かべて、フェルデナンドが現れた。

「こんばんは。フェルデナンド様。明日でお別れだなんて本当に残念だけど、今夜の晩餐会は存分に楽しんでくださいね」
マルゴットがそう言うと、黒髪の王子は品の良い表情で穏やかに応える。

「ええ、本当にお名残惜しい。機会があれば、ぜひわが国にも遊びにいらしてください。歓迎いたします」
見るからに温和そうな笑顔を絶やさないフェルデナンドは、全く持って見掛け通りの好青年であった。
宮廷作法を叩き込まれている紳士であるだけに女性の扱いは上手いが、かといって女を手だまに取るというタイプではない。むしろ誠実で、誰に対しても公平であった。
意思表示のはっきりしたそこそこ男らしい性格ではあるが、基本的には柔軟で、来るもの拒まず、去るもの追わず。
故に、何度かフェルデナンドと乗馬や読書会などで接した機会があるだけのアマンダより、人懐っこいマルゴットのほうが、よほど常日頃彼と親しげにしているような感がある。

固まったまま全く当てにならない姉を他所に、マルゴットはにっこりと微笑むと、二つのワイングラスに小瓶の中身をそそぎ、テーブルに置いた。

「これは?」
フェルデナンドが興味深そうに尋ねる。

「貴重な葡萄酒が手に入ったので、ぜひご馳走したくて」
「いい香りですね」
「でしょう?私はもう飲んだから……」
マルゴットは言いながらゆっくりと歩き出し、扉へと向かった。

「お二人で、楽しんで。では、私は先に行きますので、フェルデナンド様、姉をよろしくお願いしますわ」
「わかりました」
「あっ、マルゴット、待って。一人にしないで」
悲痛な面持ちで立ち上がりかけた姉を、マルゴットは素早く目で制した。
その美しい顔には華やかな微笑を張り付かせているが、目の奥は決して笑ってはいない。

「お姉さまったら。私も約束した相手を待たせているんですのよ。いつまでも引き止めてもらっては困るわ。では、ごゆっくりね。ほほほほほ…………」
朗らかな悪魔の笑い声を残して、無常にも扉は閉まった。





扉を閉めたマルゴットは、さて、これで上手くいくかしら、と一人廊下を歩き始めた。
あの二人、似たもの同士で互いに慎み深いのは結構だが引いてばかりで押すという事を知らない。
互いに憎からず思っているのは明白なのに、相手のことを思いやり過ぎて自己主張を忘れるとああなるという典型のような、何処までも平行線の関係の二人。
あの二人を何とかしようと思ったら、なにかしらの外力が必要だ。

何かきっかけさえあれば、愛し合う者同士、あとは雪崩のように進んでいくはず。
とりあえず、自分が出来ることはここまでた。後は、あの二人次第。

実はあれは「一目惚れの薬」などとかわいいことを言ったが、要は「媚薬」だ。
しかも兄に仕える腕のいい薬師に作ってもらった特製の。
しかし、おそらく本当のことを言ったら、堅物の彼女は決して飲もうとしないだろう。
まあ、本当のことを言わなくても罪にはならないわよね。

薬の説明書きには、なんて書いてあったかしら、と彼女は松明の灯る廊下を進みながら考えを巡らせた。
『精神を壊すような事はなく、良心も残る。もともと本人が持っている欲望を開放する効果がある。そして切望感を刺激する。』
──確か、薬の効果が出るのは2時間後。

「どうなることかしらね。ふふっ」
マルゴットは、楽しそうに小さく笑うと、上機嫌で広間へと向かった。





マルゴットが扉を閉めたあと、アマンダにとっては気まずい沈黙が部屋を支配した。

ちらり、と公国の王子の方を窺うと、彼はその沈黙が全く苦になっていない様な顔で、自分に視線を向けた彼女に気が付いて、青みがかかった灰色の目を細め、優し気に微笑みを返してきた。

「………」
赤くなりすぎて、ゆで蛸の様になった姫君の横で、何も事情を知らない彼はグラスに手を伸ばした。

「では、これを頂いてから、広間にいきましょうか」
「えっ。ええ───」
「美しい姫君がこれからも健康と、幸運に恵まれますように」
そう言いながら、グラスを掲げた。

「………」
「そして、いつかまた再会出来ることを祈って……乾杯」
「待って!」
今まさにフェルデナンドがグラスに唇を付けようとした時、アマンダは彼の手からひったくる様にそれを奪い取った。

「───え?」
驚く彼の目の前で、奪い取ったグラスを両掌で抱え込み、ぐぐっと中の液体を一気に飲み干す。

「………ひ、姫?」
彼があっけに取られている間に、続けざまにテーブルに残ったもう一つにも手を伸ばし、それも瞬く間に空にしてしまった。

「………はあっ…はあっ」
いつもは物静かな姫の尋常ではない素早い動きと剣幕に唖然とする彼に視線を向けると、アマンダは真剣な表情で口を開いた。

「これは貴方が飲んでは駄目なの」
「何故………」
そこまできて、はっと我を取り戻したアマンダは再び赤面し、
うろたえたように必死で取り繕った。

「あ…あの、これ、二日酔いがひどいお酒なの。……その、明日出立の時に酔いが残ってしまっていては、大変でしょう?」
「そんな事を貴女が気を使ってくださる事など無かったのに」
合点がいったという様子の彼は申し訳なさそうに言うと、労わる様な目でアマンダを見た。

「随分慌てて飲んでしまいましたけど、貴女こそ大丈夫ですか」
「ええ……私は、大丈夫ですわ」
「よかった」
心底ほっとした表情を浮かべて、王子はアマンダに手を差し出した。

「では、参りましょうか」
アマンダは少し切ない気持ちになりながら、彼の掌に自分の手を重ねた。





(あれで良かったんだわ)
豪華な食事の並べられたテーブルを前に、アマンダは浮かない気分のままそう思った。
確かに、彼が私の事を好きになってくれたら、どんなにいいか。
でも、だからといって、あんな薬を彼に飲ませてはいけないのだ。
彼もいずれ、誰かを好きになって、その人と結婚して、幸せな家庭を築くのだろう。
彼の人生を自分のエゴで奪ってはいけない。
好きだからこそ、どうして彼の心を操ることが出来よう。

それに薬を飲んで私の事を好きになってくれたとしても、それは、薬の力でそうなっただけで、私自身を気に入ってくれた訳ではないのだ。
そんなのは、虚しいだけだ。

主賓のフェルデナンドに目をやると、彼は国王と第一王子の間の席で、屈託の無い笑顔を浮かべて楽しげに語らっていた。
礼儀正しく、誠実で、次期国王として申し分の無い政治能力も持ち合わせた彼は、この国を統べる親子とも実に良好な関係を築いている。

アマンダは、ぼんやりと葡萄酒のグラスに口を付けた。
余り食欲は無いが、それは、憂鬱なこの気分のせいだ。
一目惚れの薬と聞いていたから、薬を飲んだ直後はどんな変化が起こるかと心配であったが、何も起こりはしなかった。
(私ならいくら飲んでも、どうってこと無いという事なのね。もう、既に惚れているんだから……。)
そこまで思い至って、アマンダはそんな事を考える自分に情けないような、悲しいような気持ちになった。

バルクルトの国王の長女として、それにふさわしい最高の教育を受けてきた。
いずれは国の利益となる結婚をして、夫の血を継ぐ健康な跡継ぎを生む。
それが大国の姫に生まれた自分の義務だ。何も異論は無い。
どんな男であれ、夫となった相手を敬い、支えていくつもりである。それが自分の役目なのだ。そこに恋などという『感情』は必要無い。
物心付いたときからそう教え込まれ、そう言うものだと思ってきた。

だから、まさか、自分が恋をしてしまうなどと、思っても見なかったのだ。
こんなにも、誰かに恋焦がれてしまう事なんて。

彼を好きだと感じるようになったのはいつからだろう。
マルゴットと三人でお芝居を見に行ったのに、途中で彼女が抜け出して恋人に会いに行ってしまい、二人で取り残されたとき?
図書室で一人で本を読んでいて、偶然会ったとき?
中庭の東屋で昼寝をしていた彼を見つけて、離れがたくて暫くその横で小鳥の声を聞いていたとき?
きっと全部だ。これだという大きな出来事などは何も無い。
ただ、二人で居ると、静かで暖かでとても穏やかな時間が流れ、それが何より幸せだった。


食事が終わるころを見計らって、今まで奏でられていた音楽に代わり、軽快な曲が奏でられ始めた。
その頃になると、場はすっかり砕けた雰囲気になっており、曲に合わせてダンスを楽しむ者、道化師の曲芸の周りに輪を作る者、そのまま飲酒を楽しむ者など、皆が思い思いに今日の集まりを楽しんでいた。


「アマンダ姫」
唐突にフェルデナンドに背後から声をかけられ、アマンダは慌てて振り向いた。

「よろしかったら、一曲お相手願えませんか」
「あ、でも」
優しく、しかし素早く手を取られて、答える間も無く踊りの輪の中にと誘導される。
そのやり方は決して強引ではなく、小さいながらも伝統のある国の王族らしい、非の打ち所の無い作法である。
彼がダンスを踊るのを見たことが無かったし、こうして二人で踊るもの初めてだった。
(きっと、マルゴットが気を利かせて何か言ったのね)
そう思いながらも、リズムにあわせ、足を滑らせる様なステップで旋回し、波の様になめらかな動きでリードされていく。

「お上手ですね」
踊りながら、フェルデナンドが微笑んだ。

「フェルデナンド様のリードがお上手だからですわ」
「こんな事を言っていただけるなんて光栄です」
彼の言う事は、社交辞令だろうか。
いや、彼は誠実で、見え透いたお世辞を言うような人間ではない。
そんな事を、そんな顔で言われると、期待してしまう。

でも、やはりこれは社交辞令だ。
世話になっている国の姫だから、私に優しくしてくださるのだ。ただ、それだけ。
思いを告げたりしたら、断りたくても断れずに、かえってこの方を困らせるだけ。

明日にはもうお別れで、国に戻ったら、たいした思い出がある訳でもない私の事などきっとすぐに忘れてしまう事だろう。

ずっと貴方の御側にいたい、なんて、どうして言えるだろう。

「…………」
顔が熱くなり、目が潤んできているのが、自分でわかった。

「ごめんなさい」
どうすることも出来ずに、アマンダは踊りの輪の中で立ち止まった。

「……どうかしたのですか?」
「なんでもありませんわ」
心配そうに顔を覗き込もうとする彼から逃げるようにアマンダは顔を背けた。
これ以上踊ることなんて出来ない。
堪えきれずに、涙がこぼれてしまいそうだ。

「ちょっと気分が優れなくて……失礼します」
フェルデナンドが何か言葉を発した。しかし、その言葉はもうアマンダの頭の中には入ってこなかった。
アマンダは、流れてくる涙を覆い隠しながら、慌しく広間を後にした。





寝室に一目散で駆け込むと、アマンダはそのまま寝台に身を投げ出した。
幸い、今は晩餐会の為に女官や侍女も全て出計らっている。
誰も居ない部屋で、誰にも気兼ねせず、アマンダは泣き声を上げ続けた。

どれくらい時間のたった頃か。
暫くすると、扉がノックされた。

「アマンダ姫」
フェルデナンドの声であった。

「返事をしてください。一体どうしたのですか?」
「いいえ、何も……」
アマンダは何とかしゃくりあげるのを押さえて答えた。

「………マルゴットに頼まれて、来てくださったの?」
「いいえ。……なぜ、マルゴット姫に言われたと?」
扉越しに、心底意外そうなフェルデナンドの声が聞こえる。

「先程一気にお酒を飲んでいたので、もしかしたらそれが原因で体調を悪くされたのではないかと、気になったのです。それに、泣き出してしまいそうな顔をしていたので……」
「………」
「無理にとは言いませんが、此処を開けてお顔を見せていただけませんか」
「……お待ちになって」

慌てて綿布に水を浸したもので目の辺りを押さえて涙を拭き、深呼吸をして無理やりに気持ちを落ち着かせる。
のろのろと扉を開けると、不安げに自分を見つめる真っ直ぐな視線があった。

「よかった、顔色は良さそうだ」
フェルデナンドは安堵の表情を浮かべたが、すぐに心配そうにアマンダを窺った。

「泣いていらしたのですか?」
「少しだけですの……何でもありませんわ」
「何があったのです」
「………」
言える訳が無い。
気のきいた嘘が咄嗟には思い浮かばず、アマンダは黙り込んでしまった。

しばらく沈黙があったが、その沈黙を嫌うように退けたのはアマンダのほうであった。

「大丈夫ですの。ご心配なさらないで。あの、私のことは構わずに広間の方でお楽しみになって。今夜の主賓が、いつまでもこんな所に居てはいけませんわ」
いかにも彼女らしい、しかし、優等生的な隙の無い答えに彼は少し寂しそうな顔をした。

「そうですか……では、僕は先に行きますが、気分が落ち着いたら、ぜひ貴女も戻って来てください。待っていますから」

「ありがとうございます」
「では……」
「…………」
広間に向かおうと、一歩脚を進めた彼の動きが、そこで止まった。

アマンダが彼の上着の裾を掴んでいた。

「───────────────行かないで」
「え?」
「あっ」
アマンダははっとしてシャツを手放し、次の瞬間、火がついたように頬を赤く染めた。
フェルデアンドは、一瞬きょとん、と目を丸くしたが、真っ赤になった彼女を前に、頬に柔らかい微笑を浮かべて言った。

「では、もう少し、ここに居ましょう」





私ったら、何故あんなことを────。
頭で考えるよりも、無意識に言葉が先に出てしまった。
どうして。
こんな事、今まで無かったのに。


二人以外は誰もいない部屋の中。
目の前ではフェルデナンドが礼儀正しく椅子に座っている。
どうしよう。
彼は私の事を変に思っていないかしら。
戻れと言った側から、行かないでと頼んだり……。彼はきっと呆れているわ。
おまけに、ここに居てくれ、と言ったものの、これからどうしたらいいか、何も思いつかない。あああああ。どうしよう…………

アマンダはパニックを起しかけていた。
心を落ち着かせようと、自分が何故、瞬発的とも言えるあんな行動を取ってしまったのかを必死に探ろうと試みる。
だが、彼女にはその答えがどうしてもわからなかった。

しかし、実は理由はしごく明確であった。
そろそろ薬の効いてくる時間になったのである。

「…………あの」
既に混沌の世界を呈した姫の心中など知らないフェルデナンドは、相変わらず穏やかに口を開いた。

「二人で黙り込んでいても何ですし、何かお話でもしましょうか」
「え……ははは、はい」
「これは僕の国での話なんですが……」
社交上手な王子の話は、確かに人を楽しませる気配りがいたる所にちりばめられ、面白いものであった。
しかし、アマンダの頭の中にはそれはほとんど入り込まなかった。
彼の話す姿をぼんやりと眺め、こんな事を考える。
────何故この人は、いつもこんなに朗らかなのかしら。

私はこの人のおかげで悲しんだり、喜んだり、苦しんだり、ほわほわとした気持ちになったり、ぐちゃぐちゃになってよれよれになっているのに、その原因である当の本人はどうしてこんな穏やかで、のほほんとしたお坊ちゃま顔をしているの。

(でも、それでいいの。自分のこんな気持ちなど、閉じ込めてしまっておけばいい)
普段の彼女なら、考えはそこに到ったであろう。
しかし、『薬』が効き始めた彼女の思考は、そこから先に一歩踏み込み、否、一つ突き抜けてしまったのである。

─────なんだか、無性に腹が立ってきた。

無意識のうちにアマンダの形のいい眉の間に力が篭められ、微かだが確かに皺が刻まれる。

それは、彼女自身さえ知らない、心の奥底で抑圧されていた『攻撃性』が解放された瞬間であった。

人の気も知らないで、こんなに穏やかな顔をして。
なんだかとっても憎らしくて、そして、腹立たしい気持ちが治まらない。
私と同じように、この人も、めちゃくちゃにしてやりたい。

──────堕としてやる。
堕として、めちゃくちゃにしてやる。

可愛さ余って憎さ百倍。
そして、いつもなら考えも付かない一つの結論へとアマンダは飛躍した。


この人の童貞を奪って、お婿に行けない体にしてやるわ──────





童貞を奪われたからといって、お婿にいけなくて困る、などという風潮はこの近辺の国には無い。
むしろこの時代、処女は財産と言われる女子とは異なり、男子は年頃になると童貞を捨てる為に、周囲の大人に色々と世話を焼かれるくらいである。
しかし、名実共に深窓の姫君であるアマンダは、そんな俗世の事情など知りもしなかった。

暫く話を続けていたフェルデナンドであったが、アマンダが話に反応を示さないどころか、まんじりと座って、なにやら殺気めいたものまで周囲の空気に放ち始めたのに気が付いたようであった。
彼はおそるおそる彼女に声をかける。

「あの……、退屈でしたか、アマンダ姫?ならば、そろそろ広間のほうへ行きましょうか。………侍女が同席しているならともかく、誰も居ない部屋にいつまでも二人きりでは、良からぬことを勘ぐる輩も出てきましょうし──」
「黙って」
いつもより低めの声が静かな部屋に鋭く響いた。
素直な王子が口を閉じるのを見ると、アマンダはその腕を掴み、寝台に向かって歩き出した。

「あ……あの、アマンダ姫?」
「お黙り」
「はぁ」
麗しの高貴な姫君は、いつもと様子がおかしい。
どう見ても、目が据わっている。

「フェルデナンド様」
アマンダは王子を寝台の端に座らせると、その肩に手を置き、熱に冒されたような目で彼を見下ろした。
そして、普段の彼女からして、にわかには信じがたい言葉を放った。

「貴方はこれから私に奪われるのよ。覚悟なさい」
「えっ」
驚きの声が上がるのと、アマンダが彼を押し倒して、その唇を塞ぐのとは同時であった。

「………………」
一方的に唇を押し付けるだけのアマンダに対し、フェルデナンドは拒むこともなく、じっと成すがままにされている。
それで少し余裕の出来た彼女は、唇を押し付けたまま、さて、童貞を奪うにはどうしたらよかったかしらと頭を猛回転させた。


確か、花嫁修業の勉強の際に教わった『結婚を遂行する行為』を行えばいいのだ。
そして、『結婚』をする為の準備では、主導権を握る男が、寝ている女の体の至る所にキスをするのだそうだ。

とりあえず、今の状況を冷静に分析すると───

主導権を握っているのが自分で、フェルデナンドが寝ている。
つまり、自分が、教わったところでいう『男の役』をやり、彼が『女の役』をすればいい訳だ。
男女が逆転していても、特に何も問題は無いだろう。

そう結論づけてから、アマンダはフェルデナンドの唇から離れた。

「……………姫」
組み敷かれた彼は、困ったような、驚いたような顔で、小さく呟いた。
(体中にキス……)
彼に構わず、アマンダはその目的の事だけに頭の中を一杯にして、
彼の額や頬や耳、首にと至る所に口付けを落とし始めた。
礼服を脱がせ、シャツのボタンを躊躇いのない手つきで外す。
鍛え上げられて、引き締まったフェルデナンドの上半身が露になった。
殿方の裸を見るのは初めてではないが、その体に触れるのは初めてだ。
女の体に比べて、硬くて、厚みがある。これなら、慣れない自分が多少乱雑に扱っても大丈夫そうだ。

そう思いながらズボンに手をかけたところで、フェルデナンドは心配そうに声を上げた。

「あの、アマンダ姫」
「なに?」
「ほ、本気なのですか?」
「当たり前だわ。戯れで私がこんな事をする女だと、お思い?」
「いいえ、それは……」
迷いの無い声できっぱりと答えられ、フェルデナンドは圧倒されるように言葉を呑んだ。

「じゃあ、言う通りにして。──腰をすこし上げて。脱がせにくいわ」
「……はい」
最早目的に向かって突き進むだけになったアマンダがズボンを脱がし、下穿きを脱がせる。
すると、股間の茂みの所に、はじめて見る変なものがぷらん、と付いているのが、アマンダの目に飛び込んだ。
それは、やや大きく反応し始めた男性器であった。

「………………」
アマンダは見慣れないそれに眉を顰めた。
(何かしら、これ)
肌色とは違う色のそれは、不恰好でくったりとして、体に縫い付けてあるようだ。
(まあ、いいわ)
この際、このあまり重要ではなさそうなものの存在は無視することに決めて、胸板、肩、へその辺りへと口付けを落としていった。

そこでふと、アマンダは女官の言葉を思い出した。

「興奮した殿方が、脚の間の割れ目を撫でたり、キスをしたりする事がありますがそれも結婚の為には大切な行為なのですから、決して驚いたり叫んだりしないように」
脚の間の割れ目……どれかしら。
アマンダの指は男根と袋を通り過ぎ、さらに下へ、下へと探った。
……これかしら。

「ぉうわっ」
いきなり尻の穴を撫でられたフェルデナンドが叫んで腰を引いた。

「姫っ、そこは止めてください!」
この人は、決して驚いたり叫んだりしないように、と言う心得を教わっていないのかしら。
そう思いながらアマンダは、顔を赤くして焦るフェルデナンドを見上げた。

このまま姫に任せていたらとんでもない弄ばれ方をされると危機感を持ったのか、王子はうろたえながらも、観念したかのように、アマンダの手を取った。

「あの………触るのでしたら、できたらこっちのほうを……」
そう言うと、彼は体に縫い付けてある、あの変な物にアマンダの手を誘導した。
手に触れるとそれは焼きたてのパンのようにほわほわと暖かく、不思議な質感があった。

「……あら」
アマンダは怪訝そうに声を上げた。
驚いたことに、それは指を動かすごとに大きく、硬く、異様な形に伸びていく。

「これ、生きてるみたいね」
「………………………生きてますから」
ばつが悪そうにぽつりとフェルデナンドから返答があった。

フェルデナンドに手を添えられ、指を動かしていると、やがてすっかり猛りきった男根が、ぴくん、と跳ねた。その体には、血管も浮いている。
やはり、生きているようだ。
(じゃあ、これにもキスをしたほうが良いのかしら)
アマンダはいきり立つ幹に手を添え、唇を押し付けた。

「あ……」
フェルデナンドが、弱々しい声を上げた。
見ると、彼の顔は上気し、灰色の瞳は潤み、困惑と躊躇いの中にも快楽に蕩ける表情を浮かべていた。

この表情だ。

そうだ。
私はいつも礼儀正しく、上品で、でも隙のない彼の、この顔が見たかったのだ。
アマンダは嬉しくなって、小さく舌を出し、悪戯の様に今度はそれをつつ、と舐めてみた。
フェルデナンドが甘い吐息を漏らした。
きっと、これは気持ちがいいのね。


先端に舌で触れていると、ふいに、優しくであるがフェルデナンドの掌に頭を押さえられた。先端を押し付け、唇を割って中に入りたがっている様な仕草。
アマンダはそれまでの行為から、それが当たり前であるかの様にごく自然に唇を開けた。

大きくて、熱くて、ひどく生々しいものが口の中に入り込む。
汗…とも違う、変な味が舌の上に乗る。
でも、嫌な感じはしなかった。
いつも穏やかな彼が静かに息を乱す、その反応が無性に楽しくて、嬉しい。

「あの、歯を立てないで……」
「ごめんなさい。…………………。こう?」
フェルデナンドが頭を押さえる力の強弱にあわせて、アマンダはそれを口で扱き始めた。

「そう、上手」
「ん……んん…ん………」
普段は閉じられていることの多い色艶のいい唇が、限界にまで怒張した男根をいっぱいに咥え込んだ。
上下の動きのたびに口内でたどたどしく舌が幹に触れ、擦る。
先端からこぼれ出た液体と唾液の交じり合ったものに、彼の幹とアマンダの唇は濡れ、いつしか、ぺちゃ……ちゅぷ……と水音が立ち始めた。
脚の間に蹲り、うっとりとした表情を浮かべて幹を咥え込み、時々口を離しては、溢れて口の周りに零れた唾液を、白くて細い指で無言でぬぐう。
その仕草さえ、フェルデナンドを煽るには充分に魅惑的であった。


「あの、アマンダ姫……もう……」
暫くおとなしかったフェルデナンドが上ずった声を出し、何かの合図のようにアマンダの頭をぽんぽんと軽く叩いた。
(そろそろ、『結婚』ができる準備が出来た、という事かしら)
彼女は体を起し、ずりずりとフェルデナンドの体をずり上がった。
結婚のやり方は、わかっている。
男と女が腰をくっつけたら、そこで結婚が成立するのだ。
ドレスを捲り上げ、フェルデナンドの腰に立てひざで跨り、彼の腰の上に自分の腰を
落としていく。

……なんかこの棒が邪魔ね。

アマンダは『棒』を手で彼の腹の側に固定し、邪魔の無くなったフェルデナンドの腰にどすん、と乗った。



静寂




「………あの」
暫く後、フェルデナンドがおずおずと口を開く。

「なにかしら」
「これは何を……」
「今、『結婚』をしているの」
「…………これでは『結婚』になっていないと思いますけど」

二人の重なった腰の間から、アマンダの下腹に寄り添うように在所無さげにそそり立った男根が姿を現しているのが、捲り上げたドレスの裾から見えていた。
フェルデナンドはそれを見ながら、なぜか申し訳なさそうに言葉を発する。

「これを、その、女性の体の中に納めて初めて結婚が成立する訳でして……」
「そう…。これを体の中に…」
アマンダは難しい顔をして考え込んだ。彼の言う事がどうにも見当がつかない。

「……って、どうやるの」
「それは、あの……」

口を開いたものの、言いにくそうに口をもごもごさせた後、彼は意を決したように、静かに言った。

「もし貴女がよければ、その、………代わりましょうか」
「そうね」
アマンダは彼の体から離れた。

「そうして頂けると、助かるわ」
互いの位置を交代し、今度はフェルデナンドがアマンダの上に身を屈めた。

彼はアマンダに口付けを施しながら、背中に手を回し、ドレスの留め具を外していった。
アマンダの驚くような速さで全ての留め具が外され、胸元を引き下ろされ、ほっそりとした肩とふるんと揺れる豊かな胸が露になる。
城の奥で大切に育てられた姫の滑らかできめ細やかな肌の至る所に、獣が餌を貪るようにフェルデナンドは唇を這わせた。
女神のような豊満な胸に顔を埋め、柔らかでたっぷりとした質感を楽しむかのように掌で揉んだり、薄紅色の尖りを口に含んだりする。
いつのまにか、顔を上げる時々に垣間見える彼はひどく深刻な表情を浮かべている。
少し、怒っているみたいにも見える。
でも、アマンダは少しも不安には感じずに、むしろ、(私と同じことをしている)と、微笑ましかった。

結婚の準備の話を聞いた時には、ただ単に腰を重ねるという行為だけのために、何故そんな事をしなくてはならないのだろうと憂鬱に思ったのだが、今では、その理由が何となくわかる。

くすぐったくて、食べられちゃっているみたいで、変な感じがして、幸せ。
私がキスをしたとき、彼は同じ気持ちでいてくれたのだろうか。


指が脚の間の割れ目を動き、アマンダはそれまでとは違う初めての感覚に思わず声を漏らした。
ぬめりを伴う怪しげで濃密な感触に動揺しながらも、変な声を出して彼を困らせてはいけないわ、と思い、口を手で覆う。
フェルデナンドの指が、不慣れな彼女に対して壊れ物を扱うように優しく、しかし同時に女性の快感を巧みに呼び覚ますように動いた。

「…あ……んっ……ぁあ………」
「不快ではありませんか?」
「ええ………大丈夫」

再び口付けが交わされる。
アマンダの口腔に、フェルデナンドは舌を差し入れた。
初めての深い口付けに彼女は一瞬身を硬くしたが、すぐにフェルデナンドを受け入れ、絡みつく舌に自らのそれを委ねる。

「ん……ふぅ………ううん…うふぅ……」
自分の体に、こんなにも敏感な場所があるとは知らなかった。
唇と脚の間を弄ばれて、鼻にかかったような甘ったるい声が思わず口から出てしまい、アマンダは自分のはしたなさに体を熱くさせた。

彼がドレスの裾をアマンダの腹の上に載せるように捲り上げた。
色白で柔らかな肉の付いた脚を持ち上げて開き、その間に腰を下ろしていく。
硬い尖ったものが、アマンダの脚の間を押す感覚があった。
腰が重なり、今度はゆっくりと乗り上げるように体がずらされる。

「あっ!…んっ……っ!」
先程とは違う、腰を重ねたという証を確かに感じる痛みがアマンダを襲った。

「……アマンダ姫」
フェルデナンドは、受け入れられた感覚に息を吐いた。
初めての痛みに困惑の視線を送りしがみ付く彼女を宥める様に、肩や頭を撫でる。

「力を抜いて下さい。………どうか気を楽に」
「う…うっ……ぁ…やぁ………」
「……姫」
大きな掌がアマンダの頬を撫でた。
アマンダは少しずつ落ち着きを取り戻し、彼の体の熱さと、自分を抱きしめる腕の力強さを改めて感じ取った。

「……これで…結婚が、成立……したの?」
「いいえ」
真剣な顔のフェルデナンドは息を乱しながらも丁寧な口調で言った。

「まだ途中です」
「じゃあ、続けて……最後まで」
「…………」


アマンダの言葉に促されるようにフェルデナンドはゆっくりと動き出した。
腰を引いては、再び重ねるような動きを幾度となく繰り返す。
痛みと同時に、息の詰まりそうな、鈍い、強烈な圧迫感に頭の芯が朦朧となり始めた。

はじめは遠慮がちだった動きが、徐々に激しいものになっていった。
アマンダの脚を掴み上げ、打ち付けるように体を動かす。
いつのまにか、アマンダの体も、彼の体も、驚くほど汗ばんでいた。
突き上げられるたびに、形容しがたい感覚が沸きあがり、意味の成さない声が薄く開いた口からこぼれ出た。

繰り返し深く入り込まれ、アマンダの体は揺れた。
白い肌は薔薇色に上気し、欲情に潤んだ瞳で、行為を続けるフェルデナンドを切なげに見上げる。
彼が滑らかな肌を撫で、弾力のある豊かな乳房を掴んで揉みしだくと、アマンダは彼の掌の上に自分の白い手を重ねた。

「フェルデナンド様。……あ…ああっ…フェルデナンド様ぁ」
アマンダは朦朧とした意識の中で、彼の背中に腕を回し、体に縋りついた。

「……愛してる……んっ…あんっ……愛してるの………フェルデナンド様……」
「アマンダ」
淫らな鳴き声を上げるアマンダに腰を打ちつけながら、荒い息遣いのフェルデナンドが彼女の耳元で囁いた。

「望みどおり、これで僕はもう貴女のものだ」

フェルデナンドが彼女の体を抱きしめ、動きを緩めた。
数回打ち付けるように体を揺らし、その後、ゆっくりと弛緩させていく。
自分に覆いかぶさり、肩に顔を埋めて荒い息を吐き続ける彼を抱きしめるとアマンダの心は満ち足りた気持ちに溢れた。

体を横にずらしたフェルデナンドの髪をなでて、アマンダは口を開いた。

「終わったのね」
「ええ、そうです」
「うれしいわ」
アマンダは口元をほころばせた。

「貴方の童貞が奪えたのね」
「え?あの……」
「幸せよ」
アマンダはにこっとフェルデナンドに微笑みかける。
その可憐な花のような笑顔を見て、誤解を訂正しようと口を開きかけたフェルデナンドは、それが無粋であると悟った。


もちろんフェルデナンドには、その年頃のほとんどの王侯貴族の青年がそうであるように、既に童貞ではなく、それなりの経験もあった。
だが、それを言うのは黙っていよう。
何やらわからぬが、そうする事で、彼女が喜んでくれるのなら。
満ち足りた表情で瞳を閉じ、いつしか小さな寝息を立て始めた無鉄砲でどこか的外れな姫君を面白そうに暫く眺めたあと、フェルデナンドもその隣で、穏やかな眠りに付いた。





翌日、天蓋越しに朝日の降り注ぐ寝台の上で、さわやかな気持ちでフェルデナンドは目覚めた。
昨晩を共に過ごした姫君におはようの挨拶を告げようとしたが、彼の横にアマンダの姿は無かった。

「…………姫?」
訝しげに思いながら体を起こした王子は、足元にあるものに気が付いて、ぎょっとした。
ベッドの一番端に、シーツと天蓋の布に蓑虫のようにくるまる姫君が
うずくまって居たからである。

フェルデナンドは、少し照れくさそうな表情を浮かべながらも、穏やかな笑顔をアマンダに向けた。

「アマンダ姫、おはようございます」
そう挨拶すると、アマンダは目に見えてわかる程、びくっと飛び上がった。

「お願い。見ないで」
「え?」
「………………………………あ、あなたに合わせる顔がないもの」

すっかり薬の効果が切れ、いつも通りに戻ったアマンダの声は、蚊の羽音の様に小さいものだった。

「あんな事をしてしまうなんて、私、どうかしていたの。いくら貴方の事を思い余っていたからって、貴方にあんな事を、あんなひどい事を………。もう、消えて無くなってしまいたいわ」
「姫……」
「ごめんなさい。あなたを傷ものにしてしまって。わ、私、尼寺に行って、尼になりますわ。だから……ご安心なさって」
「…………」
「そうすれば、私との事は、……無かったことに出来るでしょう?貴方には迷惑はかけないわ」
傷もの、と言うのが自分の事だと思うと、思わず笑いがこみ上げてきたが、フェルデナンドは慌ててそれを抑えた。

行儀悪く寝台の上を四つんばいで移動し、アマンダに近づく。

アマンダは真っ赤になったままで彼から顔をそむけて、目を瞑った。

「思い余って……とおっしゃいましたか?」
フェルデナンドが尋ねた。

「ええ。思いを抑えることが出来なくて、あんな事を………でも、だからって許される訳じゃないのはわかっているわ」
「普段こんなに貞淑な貴女に、あんな事をされるなんて……」
アマンダは耳を塞ぎたい気分だった。きっと彼は私を見損なったと言うのだ。

「……僕はきっと世界一の幸せ者だ」
でも今はどんな言葉でののしられたって、何の申し開きもできない。

「……………」
アマンダは目を開け、おそるおそる彼を見た。

「今、なんておっしゃったの?」
「僕は幸せ者だ。貴女は自分には手の届かない方だと思っていました。貴女のような大国の姫が僕などを相手にする訳が無いと思っていたのです」
「そんな、そんな……」
今にも泣きそうな顔で、アマンダは懸命に頭を横に振る。

「僕は、昨日のことを、一晩限りの過ちであったなどと貴女に言って欲しくないのですが、いかかでしょう」
「フェルデナンド様」
アマンダは未だ信じられないといった面持ちで、彼の顔を覗きこんだ。

「………貴方は、本当にそれでいいの?」
「もちろんです。アマンダ」
フェルデナンドはアマンダの波打つ豊かな金色の髪を撫で、形のいい額に口付けた。

「だから僕を残して尼寺になど、行かないで下さいね」
そう言うと、その背中に腕を回し、しっかりと抱きしめた。

「…………ありがとう」
アマンダは小さく答えると、フェルデナンドの肩に額を乗せ、彼の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。





日当たりの良い暖かな部屋で妹と午後のお茶を楽しんでいるところに、侍女が包みを持ってやってきた。

「アマンダ様にお届け物でございます」
アマンダがそれを受け取ると、マルゴットが目を輝かせて身を乗り出してきた。

「今回は何が入っているのかしら。開けてみて、お姉さま」
「ああ、そう言えば、今日は婚約記念日でございましたね」
マルゴットの横に同席した亜麻色の髪の女騎士が口を挟む。

「アマンダ様とお茶会をするのはどうしても今日がいいと言い張るから、何があるかと思っていましたが、この事だったのですか」

「だって、楽しみなんですもの」
呆れた顔の従者に対して、屈託の無い妹姫は、朗らかに笑った。

毎月決まった日──あの忘れられない出来事のあった日──に、アマンダの元には決まってフェルデナンドからの贈り物が届けられている。
あの朝、アマンダは出立の前の彼と共に慌しく父親の元にいき、結婚の許しを願い出た。
寝耳に水の国王は、たいそう驚いた様子だったが、結婚の許可はすんなりと下りた。
もともと娘には甘い王であったし、普段めったな事では自己主張をしない彼女の初めてとも言える前向きな意思表示に、王も側近もよほどの事、と思ったのか、何も異論は無かったようである。
すでに親密な関係の国同士の結婚であり、政治的には新たな利益を生むことは無いが、だからこそ、アマンダは平穏で幸せな人生を歩むことになるだろう。

来年の春に行なわれる結婚式の準備も着々と進んでいる。
彼が帰国して以来会う機会は無く、次に会うのは結婚式の前日という事になるが、二人の間では頻繁に手紙のやり取りが行われ、毎月の『記念日』には忘れずに何かが届く。
それは、小さなペンダントであったり、小さな焼き菓子であったり。
ささやかなものであるが、もともと派手なものを好まないアマンダにはそのほうが良かったし、何よりも彼のその気持ちが嬉しかった。

アマンダが包みを開けると、そこには柔らかい手触りのショールが入っていた。

「まあ、素敵」とマルゴットが感嘆の声を上げる。
ショールの手触りを楽しみながら話を弾ませる妹姫達の横で、アマンダは中に入っていた手紙を広げた。

『親愛なる姫へ

先日は手紙をありがとう。こちらでは早くも雪が降り始めました。この雪雲がこれから貴女の国にまで行くのだと思うと、雪雲さえもがうらやましく思えてきます。お体を冷やさぬよう、ささやかな品を送ります。気に入っていただけたら幸いです。

貴女のフェルデナンドより』



昼下がりの穏やかなお茶会。
恥ずかしがり屋のアマンダは、二人の話を微笑みを浮かべて聞きながら、気が付かれないようにそっと彼の手紙を撫でた。

バルクルトの王宮に今年初めての雪が降るのも、もうすぐである。


(王女様の薬 END)